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土窯半兵衛
今から二百五十年前に、常盤半兵衛という人が相州鍛冶屋村(現在の神奈川県湯河原町)からやってきて、君津の山村に土窯を築いて炭を焼く方法を教えてくれました。

カシなどの堅い木に恵まれたこの地からは、たくさんの炭が焼かれて小糸川の川舟で河口の河岸へ送られ、さらに江戸に運ばれました。質の良い炭は「上総木炭」と呼ばれ江戸で大量に使われたので、この地は経済的に大変ゆたかになりました。

カシなどの堅い木に恵まれたこの地からは、たくさんの炭が焼かれて小糸川の川舟で河口の河岸へ送られ、さらに江戸に運ばれました。質の良い炭は「上総木炭」と呼ばれ江戸で大量に使われたので、この地は経済的に大変ゆたかになりました。郷土の恩人常盤半兵衛は土窯半兵衛と親しく呼ばれ、今から二百四十五年前の安永元年十二月十一日になくなりました。市宿の三経寺にお墓と顕彰碑と焼いた炭があります。
(参考:半兵衛炭焼塾ホームページ)
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